真夜中の黙想:愛国心
インドネシアに住んで早5年7ヶ月。
早いもんで、こちらでの生活、文化規範などが自分の中でも内在化してます。
それに伴って、自分の中でのいわゆる愛国心もといい、望郷の念も強まってるのを感じます。
愛国心=危ないもん?
日本での愛国心というと、最近のネット右翼に見られるような少々薄気味悪い物に、右寄りな耳障りを覚えるけど、本来は多くの人が持ってしかるべきものだとも外に住んでから感じるようになった。
日本の自国の自己定義が戦後で180度変わったのに伴い、こういう他国では見られないような感覚を「愛国心」という言葉に付随したものとして感じてしまうのだろう。(ネット右翼とか肯定してませんよ、もちろん)
大学で教えてる親父が日の丸君が代に対して否定的論議を提議する本を出したりしていた関係で、高校くらいまでは僕も愛国心や日の丸に関してはかなり否定的な感情を持っていた。学校での君が代斉唱とか歌わなかったな笑
内在化している日本人という概念への敬意
ただ万世一系の天皇系の臣民である日本国民という概念にはどうやっても同意できないし、国民国家は想像の共同体であることは明白だけど、それでも自分の出自を誇ることは否定されるべきものでなく、まして自己否定したくないと感じるようになった。
(*インドネシアに住めば、B.アンダーソンの「想像の共同体」(:東インド会社の統治した地域がインドネシアという国に変わっていく過程を参照に、ナショナリズム、国民国家に関して書いた名著)が明らかにした、国民国家の概念が本当に理解できる。国民や国は人為的に想像されるものであると肌身で感じられる。)
歴史を鑑みれば、自分の国を神格化することの怖さは、危険な思想につながることへの議論の余地はない。
ただ、自分の中で「日本人」である自分という概念がどのような文化的背景を持ち、どのように受け継がれて来たのか、どのように自分の中で内在化しているかについて思いを巡らせ、その歴史的な経緯に配慮した上でそれを覚悟をもって受け入れるべきだと考えるようになった。
世界の孤島であった日本が明治維新を大戦を契機にいわゆる大国にのしあがり、その過程でインドネシアを含む多くのアジアの人々に苦しみを与え、戦後はアメリカの犬になり下がり永続敗戦論の如く負け犬精神が多くの日本人の中に巣食っていてもである。
こういう数年に渡る精神的な内面の過程を経て、僕は「愛国心=自分は日本人という概念への敬意」を持つことが出来たと思う。それは如何に受け入れるのが苦い歴史的経緯であっても、受け入れることからしか始まらないという、少々悲観的見地から出発もしている。
さて自分的愛国心の行方は
愛国心ができたからか、以前にも増して、自分の国である日本の様々な社会的課題に対して、少しでも貢献できる人材になりたいと感じる。
主には宗教や国籍を背景にした社会摩擦の緩和や多様性のある社会への貢献だろうか。それはインドネシアの学友などが、課題だらけの国でも自分の国を受け入れ、その上で政府や公的支援を待たずに、自分たちでアクションを起こそうとしているのを真横で見たからだろう。
修士課程で学びながら時間を捻出し、公的学校にまともに通えない子供への学校を運営したり、将来は絶対的に不足している精神的障害者の施設を作りたいと話す彼女の言葉には、自分を内省せざる終えない。
(友人の運営するinformal school)
相対化と概念の確立の繰り返し
インドネシアに住むだけでも、自分の中の概念を相対化し、比較検討する機会に恵まれる。そこから自分の中の絶対的と思っていた概念も相対化すれば絶対的ではありないこと学ぶ。一緒に学んでいるインドネシアの学友、彼らから学ぶことは本当に多い。
ただそれには、自分の目と頭と心を外に向けて開くことと同時に、自分とはなんぞやという概念の確立が求められる。その過程が、自分に愛国心を持たせてくれたと感じる。
すごい稀に日本に帰りたくなる時には日本の歌に救われる。
椎名林檎のNIPPONは2014年のW杯のテーマソングだけど、日本人としての自分という概念を持ちたい時に聞いたりしてる。
自分の出自に誇り持って、生きて行きたいです。そのためにも、グダグダな政治世界や問題だらけの日本社会に自分が日本以外で学んだ経験を還元し、少しでも貢献できる人材になろう。そう思います。
シンガ帰り辣腕シェフの絶品美食麺「Mie Sapi Banteng」
www.youtube.com
シンガポールでの経験生かしたMie Sapi
個人的にMia Ayam(鶏肉麺)が好きでよく食べてたら、大学院の友人であるIcaから絶対食べるべきだと連れて行かれたこちらのお店。彼女はジョグジャで大学(学部)に行き、働いた経験もあるのでジョグジャ のお店をよく知っていて食べ歩きの友達みたいになってます。
ただ、彼女のこのお店の説明の仕方が「めっっっちゃうまいから行かないと後悔する」みたいな感じでかなり褒めてたので当初は「いやいや美味いだろうけど、麺でそこまで旨くは出来ないでしょう。所詮想像の範囲内の旨さだろうな」と少々疑っていた。(ごめんIca笑)
彼女の前職であるNGOのオフィスからすぐのとこでよく来ていたとのこと。
シェフがシンガポールのホテルでシェフとして働いていた経験があり、その経験をジョグジャ の住宅街の中に持ち帰ってお店を開いたという変わり種とのこと。
Mie(麺)はインドネシアだとAyam(鶏)が有名だけど、ここのお店はMie Sapi(牛肉麺)で東南アジア化してるけどより中国式な味わい。確かにシンガポールで食べたことがある様な味。
麺にはラー油的なものと、と辛めの味付き油?みたいなものがかかっており、スープはないスタイルでどちらかというと日本でいうまぜそばに近い感じ。香草が2種類ほど乗っており、油のしつこさを打ち消して喉越しも爽やか。
麺屋だけど一番美味いのは水餃子だったりする
Mie Sapiもとても美味しいし、何よりインドネシアではなかなか食べられない味なんだけど、ここで個人的に一番好きなのはPangsit Rebus(水餃子)。
中身も牛肉のミンチが使われていて、麺にも使ってる辛味油がかかって出てくるけど、これがめちゃくちゃ美味い。辛目だけど、その辛さが箸を進めるスパイスになってる。
牛肉の味淡いと辛味油がよく馴染んで幾つでも食べれちゃう感じ。辛めのビールでもあれば最高に合うと思うんだけどね笑
インドネシア在住者の方は分かるだろうけど、インドネシアの牛肉は和牛で育った者には正直旨くない。ミンチでも味に深みがない感じだするのが普通だけど、ここのミンチ牛は味がしっかり効いていて初めてこんな(ミンチだけど)美味い牛肉食べたなたと感じた。
美味い牛肉(くどいけどミンチ)食べたい時にここ来るのもいいかもしれない。なんせ値段が安い。麺は一杯Rp 11,000(約88円)、水餃子はRp13,000(約104円)。
この値段でこの味は類を見ない。本当に友人のいう通り食べないと後悔する店です。
ウェブで情報漁ってみたけど、地元の人の声でも麺のくくりでジョグジャ No1の呼び声高しですね。
待ち時間と閉店時間に注意!!
お店は大体午後4時半開店で6ー7時くらいなると売り切れたりするので、要注意。シェフが一人で作っていて、かなり混むので待ち時間がかなり長いのが難点。
5時とかに行くと1時間とか普通に待ちます。
Google MapでMie Sapi Banteng探すと移転前の場所が出て来るので要注意。探す場合はJalan Damaiで検索してチロチロ進めば分かるはず。なんせ混んでますから。
まだ未食だけど、Kwetiau(ライスヌードル)やPangsit Goren(揚げ餃子)も美味いとのことなので、食べてみなきゃです。
住所:Jln. Damai (Ruko deretan Serabi, dekat kring krong), Yogyakarta
営業時間:午前4時30分〜午後8時(6時から7時には大体売り切れ終了)
オススメ度:星9つ ★★★★★★★★★☆(待ち時間なければ文句なく星10つ)
格安で開放感満載「Mbahe Sambel dan Soto Ayam/Sapi」
開放的な作り
下宿近くのソト屋さん。ちょっと道から入り組んだ中にあるので、分かりにくいかも。
その分は店は田んぼ近くで、風景は綺麗だし、風が気持ちい。
ソトの味はまぁ普通の上といったとこでしょうか。味薄めだけど、鶏の味がしっかり効いていてなかなかいける。
ソトが一杯Rp 6,000(約48円)とクソ安いのでたまに来てもいかなぁ。
オススメ度:星6つ ★★★★★★☆☆☆☆
住所:Dabag, Condongcatur, Depok Sub-District, Sleman Regency, Special Region of Yogyakarta 55281
営業時間: 毎日10am-4pm
ユダヤ教はインドネシアでは宗教でない⁉︎
インドネシアの宗教とは
大学院のWorld Religions(世界の諸宗教)の授業では様々な宗教について学んでいるんだけど、ユダヤ教についての授業で習ったインドネシアにおけるユダヤ教のポジションがとても興味深かったので簡単に紹介します。結論からいうとインドネシアではユダヤ教は宗教として認められてないです。
※ユダヤ人の明確な定義はなく、人種、信仰、文化、身体的特徴など様々な尺度でいわゆるユダヤ人と規定しますが、ここでは一応ユダヤ教を積極的に信じているユダヤ人と自認している人々をユダヤ人とする定義で語ります。
まずインドネシアのユダヤ教を紹介する前に、インドネシアにおける宗教とはなんぞやを簡単に説明します。
インドネシアでは、国が定めた6つの宗教が存在し、全ての国民はこのどれかに所属しないといけません。
6つの宗教
イスラム教、キリスト教・プロテスタント、キリスト教・カトリック、ヒンズー教、仏教、儒教
キリスト教を分けているところと、儒教を国として宗教として認めるのはなかなか面白い現象かなと思います。
2017年の宗教省データでは、
イスラム教 87.21%,
キリスト教 9.87%(プロテスタント 6.96%,カトリック 2.91%),
ヒンズー教 1.69%,
仏教 0.72%,
儒教 0.05%,
その他 0.50%となっています。
宗教分布は以下の通りです。
そして、17歳以上が携帯を義務ずけられてるKTP(住民登録証)には、その人の宗教の所属を示す欄があり、6つの内1つの宗教が必ず記載されます。
KTPは様々な住民サービスに必須のものなので、さもなければ社会サービースへの利用が著しく制限されることになってしまいます。
ここら辺はググれば日本語でもすぐ出てくる話なのでさわりまでに。
あまり日本語で出ていない話だと以下の2つ。
1. 宗教の自由を憲法が保証している
インドネシアの宗教では6つの国定宗教が多く語られがちだけど、実は憲法は宗教の自由を保証している。
憲法29条第2項
「国家は,すべての国民がそれぞれの宗教を有し,その宗教及び信仰に従って礼拝を行う 自由を保障する。」
なんだ信仰の自由あるんじゃんと思いきや、そんな簡単な話でなく、第1項に紐付いた第2項な訳です。
憲法29条第1項
「国家は唯一神への信仰に基づく。」
ちなみにこの第2項は1965年の憲法改定時に追加された条項です。
ここで言う唯一信は、イスラムやキリスト教などの一神教が言うところの神です。
仏教はそんな神とは神の概念違ったり、もしくは信じてないじゃん、と言う声が聞こえて来そうですが、基本的にはこの神の概念が一神教以外の宗教にも当てはめさせられます。儒教は孔子の教えだし、仏教でいう神は一神教は違うのにも関わらずです。
この曖昧な「唯一神」の概念が政府の宗教定義の広範性をもたらすとともに、種々の問題も孕んでいることは明白です。
ヒンズー教など何千という神が本来いるはずなのに、インドネシア独立後、バリヒンズーは公式にはこの概念にヒンズー教を落とし込もうとします。
(これも面白い話だけど、ややこしいの記事にできるか不明)
インドネシアでの宗教の自由は、国是であるパンチャシラと憲法に規定された唯一神にそぐわない限りーーの範囲内での自由です。
なんで、日本で言うところの宗教の自由とは根本的に違うのがミソ。
2. 新たな宗教概念の追加
2017年11月の憲法裁判所の判決でKTPの宗教欄に国定6つの宗教以外の表記も認めるべしとされ、その影響で既に新たな宗教を記載したKTPが多く発行されたとのこと。
新たな宗教とは、「Penghayat Kepercayaan(宗教的信仰のある人)」と言うなんともモサっとした概念だが、これは土着のアニミズムなど伝統宗教、土着信仰に対する配慮だと考えられている。上の宗教分布でいう「その他」に当てはまる人々のことでしょう。
これはこれで非常に面白い話なのでまた一つの記事にします!(きっと、おそらく。)
インドネシアでのユダヤ教の位置づけ
はい、ここで話の本筋に戻ると、ユダヤ教ですね。
そう、インドネシアではユダヤ教は宗教として認められていないのです。
世界の5大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教)に数えられることが多いユダヤ教がですよ。しかも、Penghayat Kepercayaanはあくまで土着信仰保護が目的の概念なので、ユダヤ教は一切関係なし。
しかも世界的にはイスラム教、キリスト教と並んんでアブラハムの宗教として認められており、いわばイスラム教、キリスト教の先輩宗教なのにです。
そしたらインドネシアのユダヤ教徒はどうしたらいいねん、と言うことになりますね。
インドネシアには、主に大航海時代の17世紀頃にヨーロッパ、そして中東の商人を通して伝えられたといわれてます。
(その前からいたともされてますが、とりあえずこの説で)
オランダの東インド会社が現在のインドネシアを植民地支配してた時期には、多くのユダヤ人がおり、その多くが東インド会社の職員やその家族、末裔とのこと。
第1次〜第2次世界大戦次には、ナチスの迫害を恐れてインドネシアにも逃げ延びて来た人が多くおり、この時期ユダヤ人はおよそ2000人くらいいたとされてます。
ただ我らが日本のインドネシア占領時には、多くが収容所に収監されていたとのこと。
その後、1945年のインドネシア独立時には相当数がアメリカやオーストラリアに移住し、1948年のイスラエル建国後にはまた相当数がイスラエルに移住をしました。
現在のインドネシアでは、推定で約5000人のユダヤ人子孫がいて、そのうちユダヤ教を信奉しユダヤ人と自認している人は500人と推定されてます。
居住地域はかなり広範囲の散らばり、バンドン、ジョグジャカルタ、スラバヤ、メダン、マナド、パプアなどに離散している。
国定の宗教に認められていなため、おおっぴらに信仰を話すことは出来ないけど、武力で迫害されるといった酷い迫害はそこまでなかったよう。
ただこれも、イスラエルの建国とパレスチナへの迫害が契機となった中東戦争時には、インドネシア国内のユダヤ教への風当たりも強くなり、最近の2017年のトランプ米国大統領によるエルサレムをイスラエルの首都として認定した事案が引き金になり、風当たりはますます強くなっているとのこと。
(大学の先生のこぼれ話では、インドネシアは現在までイスラエルと外交関係ないが、建国から1965年までのスカルノ政権時は表向きには反イスラムを掲げるイスラエルを敵視しながら実際には、イスラエルの諜報機関・モサドの拠点がジャカルタにもあったとか。冷戦時を睨んで綱渡りしてたんでしょうね。)
インドネシア国内にあるユダヤ教の礼拝所・シナゴーグは、北スラウェシ州マナド市にあるのみで、東ジャワ州スラバヤにあった2013年に襲撃を受け、破壊されてしまった。
このように多くのインドネシアのユダヤ人は、国からも社会からも阻害されて生きているようです。彼らの多くは、KTPの宗教欄の記載など公式にはキリスト教として登録されており、それが圧力を受ける社会で彼らが生きるすべの一つのようです。
ジョグジャ にもユダヤ人コミュニティがあるとのことで、いつか訪ねてみたいな。
マナドのユダヤ人コミュニティ
授業の予習で調べていたら、AFP日本語サイトがマナドのユダヤ教徒の生活をまとめたビデオをアップしていたので是非どうぞ。さすがAFPだわ。日本のメディアもこういう記事頼みますよ。
こちらは写真と記事。日本語であるとは思わなかったわ。
こちらは別の動画。音声が英語しかないですけど。
In Muslim Indonesia, tiny Jewish community lives on
参考までにニューヨークタイムズの記事も。
マナドでは、地元政府が観光誘致のためにユダヤ教の塔を建設したとあります。これはあまり調べられてないので、言及するまでに留めます。
マナドのユダヤコミュニティを訪問した大学の先生の話では、本来男性10人が集まり礼拝に臨むのが正式なユダヤ教の礼拝の仕方だけど、コミュニティが少ないため、ラインを使ってビデオチャットしながら礼拝や会議をするとのこと。デジタルがこんなとこにも力を笑
記事中ではいずれも、インドネシアにおける寛容の精神の低下とユダヤコミュニティへの圧力が強まっていることを嘆いた記事になってます。
ビデオ中で、UIN(国立イスラム大学)のIsmatu Ropi教授が「多くのインドネシア人は、インドネシアのユダヤ教とユダヤ人のコミュニティ、シオニズムとイスラエルを区別できません。」と説明してます。
日本人も持っているであろう、ユダヤ=金持ち、影の支配者、イスラエル、イスラムを中東で弾圧ーーーといってイメージが先行し、土着化しているインドネシアのユダヤ教を一括りに攻撃する傾向があるとしてます。
この話は、宗教の理解や、身近な宗教信者とテレビやネットの向こうの話を区別するリテラシーが必要になると思う。この先生の話は、インドネシアに限らず、イスラム嫌悪がある日本でも非常に重要な示唆だと考えます。
※このブログの内容/記事については個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。記事の内容は執筆者に帰属します。内容の一部を引用などされたい場合は、メールでご一報ください。(kabar.dari.indonesia@gmail.com)
今月に書くべきこと 2019年10月
デジャブに襲われる大学院生活
なんだかんだ大学院の課題に追われていて、全然時間が取れずにブログもほっぽっている時間が長いです。本当に、気がついたら1週間が終わりまた新たに1週間が始まるという感じ。毎週デジャブの様な感覚に襲われながら、課題に取り組んでます。英語で書くのは割と好きなんだけどね、英語で長々読むのがまだ慣れない。
今月書いておくべきことは
特に今週はReligion, Gender and Post-colonialismとWorld Religionsの授業でプレゼンが2回もあったので、なかなか大変だった。
毎週毎週の学びは貴重な事ばかりで、覚えるのはもちろん、今後の自分の生活や仕事に適応させていきたい理論とか多いです。日本だとないであろう学習環境があるしね、インドネシア。
ので、まずは大学院に入った理由やそこでの学び、多種多様なクラスメイトについての記事を書きたいですね。学友もアチェからパプア、イギリスにロシアとかなり豊かな背景をもつ友達が多いんで、単に友達紹介するだけでもかなり面白いかと。
授業の中身も必要に応じて紹介していきたいな。
あとは、学友らと参加した国会に対するデモ行進の背景や動機。なかなかメディアだと一部分だけ切り取ってしまっているので、もっと全体的な観点からデモがなぜ起こって、何を主張して学生が行動を起こしたのかを日本語でまとめてみたい。
あとは、中華系の方々が催す中秋の満月のお祭りに参加したので、写真で紹介しつつ、ジョグジャ の華僑の歴史などを少し調べて紹介してみたい。
ソトアヤム 巡りはほぼ毎日してるので、そこらへんももちろん笑
まとめると
①ガジャマダ大学大学院入学の背景とカリキュラム、学友の紹介
②国会に対する学生デモの行動原理と概要
③中秋の満月のお祭り紹介とジョグジャ 華僑の歴史
+日々のソトアヤム 並びにローカル飯巡り
といったとこでしょうかね。
こうやって記事にしておかないとずっと長引かせちゃいそうだから自戒の念も込めて今回書いてみた。ブログの記事ベースに知り合いのインドネシア研究の先生や元上司、知人友人に毎月留学記も書こうと思ってるので、そろそろ日本語でのアウトプットも習慣化しないと。
上の3件、記事にできるといいなー笑